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海の上にそびえ立つ全面ガラス張りの80階建ての高層ビル。上層各界には、ホテルのスウィートルームのような個室兼オフィス。僕はその一室で目覚め、階下のロビーに降りていった、そこには、明らかに我が社アップルコンピュータのCEOスティーブ・ジョブズを訪問する目的で来られたと思われるVIP達がオーバーブッキングされている。「アポイントの状況はどうなってんだ!?」混乱し、パニック寸前だ。CEOの部屋に直接内線を入れるが、話し中である。すると、あたりの様子から、それがなんらかの催事の参加者であるようだということがわかってきた。胸をなで下ろしたのもつかの間、かくいう私はマーコム・ディレクターなのだ。地上62階のゲスト用のレストランは秘書の方でおさえてくれているらしい。私は、そこで大きなミスに気が付いた。ロビー階に『Reception(受付)』のウェルカムボードとブースを出し忘れていたのだ。「ああ、もうこれでクビだ...」そう思った瞬間、悪夢から目が覚めた。
そうだ、僕はアップルの社員でも、マーコム・ディレクターでもない。いまは地元でアルバイトすらろくに探せないプータローなのだ。
私は1997年から1年2カ月、東京オペラシティータワー48階のアップルジャパンのマーケティング本部で派遣社員として働いていました。喫煙ルームでは当時の原田永幸社長や社員の人たちと寝そべりながら、東京湾までを一望できる「下界」の話をよく冗談話にしてしゃべっていました。私は、半年後に正社員にされる予定ということもあったのですが、組織が恐ろしくフラットで、社長も正社員も契約社員も派遣社員もアルバイトもみんな平等で、それが優れたプロジェクトであれば、誰でも手を挙げることができ、自然にそれにぶら下がる人数が増えていき、いつのまにか、派遣社員の私もいくつかのプロジェクトのリーダーになっていました。具体的にはパワーブックのオフィシャルサイトの立ち上げの総責任者、パワーブック周辺機器ガイドという冊子の総責任者、マックワールドエキスポ、ワールドPCエキスポでのパワーブックブースの総責任者などをやりました。そうこうして半年が経つ頃、マーケティングマネージャーに呼ばれ、ウィンドウズ95のあおりで、米国アップルが急激に業績が悪化してきたため、正社員での採用を取り消したい、という旨の事を告げられました。
それでも、なんとかアップルに残っていられたのは、イベントでの才能を評価されての事でした。12月に派遣社員、契約社員を中心に合わせて85人が大量にリストラされ、勤怠に問題があったので私も候補に上がっていたのですが、そのときのマーケティング本部長のご厚意もあり、2カ月だけ、マックワールドイベントチームに残って欲しいとのことでクビがつながりました。連日の残業、ときにオペラシティーで一人だけで泊まった夜もありました。そんな中、翌年2月のマックワールドも無事に終わり、私の最終出勤日がおとずれました。社長秘書から花束をもらい、「komorebiさんならどんなところにいってもうまくやれるよ」と優しい声をかけてくださり、アップルをあとにしました。
夢のような1年2カ月はあっという間に終わり、残ったのは、「アップル後遺症=ジョブズ・ホッパー」でした。理想的な職場、誰からも羨ましがられ、自分がとくべつな存在に思えた日々、それは、私の生育歴も相俟って、私の「自己愛性人格障害」の発症の瞬間を意味していました。妻や母に言わせると、「アップルがあなたの人生を狂わせた」と。まあ、経験を活かすも殺すもその人次第なのでしょうけれど。その後、次から次へと「ここは違う」、「あそこも違う」とやみくもに転職歴を重ね、気が付けば誰も欲しがらないような年齢の単なるジョブホッパーになっていました。途中、アドビシステムズの最終面接の2名まで残るなど惜しい出来事もありましたが、アップルでの日々は、私の職業人生の中で夢のような最高な経験であったにもかかわらず、それを活かしきれず最悪の悪夢となってしまったのです。
いまでは、とにかく無名でも長く安定して、また安心して働ける会社を探すことに専念することにしています。階段を上から下まで転がり落ちたら、身体と心を治して、また一段目(あるいは途中)から昇り始めるしかないんですよね。
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