18.幼稚園児にも権利を



 精神分析のカウンセラーの先生から告げられた言葉。私は自分なりに自分が怒るときのパターンを順序だてて先生の前で分析してみた。私は、怒りを覚えたとき、それを恥ずかしくて言葉にできない。なんで怒ったのか、何に対して怒ったのか、うまく説明できない。そしてついムスっと黙り込んでしまい、怒りを溜め込んでしまう。ときには作り笑顔さえ浮かべることもある。そんな自分を察して欲しかったり、放っておいて欲しかったり、そのときの心境で変わってしまう。そんなこと到底無理なことは頭ではわかっていても、そんな心境を何とかして欲しい。自分でなんとかならないのだから。そんなことはおかまいなしに、相手が自分が望んでいるような態度や行動をとってくれないと、怒りはさらに膨れ上がる。二次災害だ。こうして欲しいと言えない自分にもどかしさや苛立ちを覚え、怒りはさらにさらに膨れ上がる。三次災害だ。結局、そのときその場で怒りを相手に伝えられらず、タイミングを逃したことに対して後悔し、自分にさらに怒りを覚える。四次災害だ。行き場をなくした怒りはお腹の中に溜まりとぐろを巻いてしまう。あるときには、怒りがなかったことにしようとするように必死になるときもある。またあるときには、自分に溜まりきった怒りを向けてしまったり、ついには、まったく場違いな場面で怒りを爆発させてしまう。しかし多くの場合、怒りは長い間こころの中に抑えつけられ、閉じ込められる。閉じ込められた怒りたちはいつまでもプラカードを持ったままこころの中をさまよっている。そしてそのプラカードには「バカ!」「フザケルナ!」「クソ!」「コノヤロー!」… などと書かれている。。。そんな拙くて未熟な感情を出すのが私には堪え難く屈辱的で、恥ずかしかったのだ。そんな幼稚園児並みの怒りの言葉たちが自分のプライドの影で辛く苦しい思いをしていたのだ。すると先生は、「幼稚園児だっていいじゃない。幼稚園児にも権利を与えましょうよ。発言する権利を。彼らに耳を傾けて、抱きしめてあげましょうよ。」と言った。そのとき私の中で何かがよぎった。自分を傷つけられることを恐れ、幼いわが子(当時の私)の怒りに耳を傾けようとしなかったいかめしい父親の姿を自分の中に見たような気がしたのだ。この面接以来、怒りをすごく時間がかかり、頼りなくであるが、勇気を出して、言葉にすることができるようになってきた気がする。


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