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止められない衝動はある程度仕方がない、と思います。自分でやめたいと思っていても、人間の意志の力はそれほど強くないときもあります。まして、BPDの状態の悪い時ならなおさらでしょう。状態の悪い時は、生きた心地がしなくなっているものです。精神的にかなり沈み込んでいるか、傷付いて過敏になっているか、絶望の淵で何も感じなくなっているか、動揺してパニック状態になっています。冷静に落ち着いている穏やかな状態でないことだけは確かです。冷静で穏やかな状態であれば、自分の衝動を抑えたり、コントロールすることはそれほど難しいことではないはずです。冷静な判断力を失っているときにブレーキを踏めず、事故を起こしてしまうことは、いけないことでもないし、自分を責める必要もないし、むしろやむを得ないことだと思います。
自分を傷つけることを、私は18歳の頃から何度も何度も繰り返してきました。その中でも最も多かったのがリストカットでした。初めての時は、包丁で手首から血がじわっと滲み出るくらいの傷を作りました。その後、包丁ではなく剃刀を使うようになりました。誰かに自分のこの苦しみをわかってもらいたい、誰かに振り向いてもらいたいという気持ちと、自分がいかに傷付いているかということと、自分は本当に生きているのかということを試してみたいという気持ちの入り交じった、それはある種の誘惑でありました。
いつしか、手の傷を見て悲しんでくれる家族や友人、消毒をしてくれる看護婦さんなどに、「こんなにも俺は辛いんだよ!」というやるせない怒りや悲しみの無言の叫びの代償として、手首の傷を誇らしげに見せ、ある意味で酔いしれている自分に気がつきました。しかし、現実には私から多くの友人を遠ざける結果となりました。本当の意味で自分を心配してくれる人だけが残っただけでも幸せだったと感じています。
今の私は、いやこれまでも、他人の手首の傷を見るのがむしょうに嫌でした。そんなに誇らしげに、あなたは自傷したことを自慢出来るのでしょうか?それとも同情してもらいたいのでしょうか?その答えは、私の心の奥底にあるはずなのに、他人の傷はグロテスクで見るに耐えないのです。私は、自傷を行なった本人を決して責めません。そういう状況にさせてしまった何かを責めます。しかし、綺麗事ではなく、そういう状況にさせた個人を責めたくもありません。そういう状況にさせている社会や文化を私は責めたいと思います。なぜそういう状況になってしまう前に、何か他の方法を教えてくれなかったのかと。
リストカットやアームカットをするとき、セロトニンが分泌されているという報告があります。セロトニンは、気分をリラックスして穏やかにしてくれる脳内物質です。他にリラックスできる方法がなかっただけで、他の方法を知っていたら自傷なんて誰もしません。だから、致命傷になるほど深く、また人に見せられないほど多くの傷を作らなければ、浅いリストカットくらいはしてもいいのではないかと思います。
ただ無責任にそう思うのではなく、むしろ経験した本人であり、完治した本人でもあるから、その無性に切ってしまいたくなる気持ちが痛いほどわかるのです。ただ一つ注意しておきたいのは、本人がいくら浅い小さな傷だと思っていても、他人が見ると非常に深くショックを受け、傷つく場合がほとんどであることだけは覚えておいて下さい。できれば、「浅く、小さく、人にむやみに見せず」を守って欲しいと思います。小さな傷は時間と共に必ずやがて癒えるのですから。
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