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当時の私は、結婚していました。しかし、別な女性と不倫をしてしまい、当時の妻への良心の呵責と抜き差しならない状況から、極度な情緒不安定になり、究極まで追い詰められたとき、当時の妻が「ときに般若、ときに聖母」のように見えるようになり、私はどんどん現実感覚を失っていきました。とても仕事が手につくような状態ではなくなり、仕事も休職し、家庭にも戻るに戻れなくなり、ついに医師の勧めで入院することになりました。
入院したときには、「緊急避難的に任意入院ということ」で入院先の主治医からは、いままで口にしたこともないようなありとあらゆる薬を投与され、それでも感情の高ぶりと恐怖と不安でうち震える毎日でした。もちろん、人を傷つけ、道徳に反することをしたのですから、自業自得なのはわかっていました。それでも心の底でその当時はこう思っていたのです。「同時に二人の人を愛してどうしていけないんだろう」と。しかし、社会を相手に、周囲を相手に、それを自信を持って口にすることなどできるはずもありませんでした。
私は罪悪感と、こじれもつれた感情の狭間で、幻覚を見るようにまでなり、精神病院の廊下で当時の妻を激しく罵り、大声をあげ、そのまま注射を打たれ病室のベッドで眠りました。目が覚めた時、もうこの苦しさから逃れたいという一心で、隠し持っていた睡眠薬を数十錠飲んで、救急車で夜間救急のある病院で胃洗浄、浣腸をされ、朝あと少し遅かったら命を落としていたと知らされました。
その後、入院先の病院で、何もなかったようにケロっとしていた自分に、主治医から宣告がありました。「komorebiさんは、境界性人格障害、まあ軽いやつね」私は初めて聞いた診断名に、ほっとしたような、恐いような、何とも言えない印象を受けたのを覚えています。
その後、一ヶ月ほどでその病院を退院し、地元のメンタルクリニックの精神科医からあらためて「あなたは、境界性人格障害と自己愛性人格障害です」と告げられました。この時には、すでに医学書などで人格障害の知識があったので、かなりショックでした。簡単にレッテルを貼られることがどんなにか患者の心を傷つけるか、このあと次第にわかっていきました。
これから書いていくことになる「回復までの軌跡」の「トピック」でこの「レッテル貼り」のことに何度か触れることになるでしょう。
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